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★ 家康の危機を救った勝軍地蔵!
そのとき徳川家康は覚悟を決め、「腹切って織田殿と死を共にせん」と叫んだと記録者は書いています。
織田信長が本能寺の変で討たれた天正10年(1582年)6月、家康は堺で物見遊山の最中でした。明智光秀の謀反など想像すらしておらず、供の者はわずかでした。間違いないのは光秀が信長同盟者であった自分を圧倒的多数で殺しにくること、落ち武者狩りの絶好のターゲットであること、そして領国三河に帰るには信長が殺戮を行った伊賀を通過する必要があるので死が約束されていること。家康にとって最も恐ろしい事態は、名のある武将である自分が土匪に殺されて恥を晒すことです。逃げ道はなく、まさに八方ふさがりの状況。人生最大のピンチでした。
自決しようとする家康を必死に押しとどめたのは本多忠勝でした。誠意あふれる訴えを聞き入れた家康はわずかなチャンスに賭ける強行突破で三河を目指すと決意し、後世語り継がれる「神君伊賀越え」がはじまります。このとき一行と別れて別行動をとった穴山梅雪は家康と間違えられ無残に殺されました。
決死の脱出で運が回ってきたのは地元豪族・多羅尾光俊の城に泊まったときです。そこには多羅尾家がたいせつにしてきた行基作の勝軍地蔵が祀られていました。家康が恭しく拝礼すると光俊は「これも何かの縁でございます。どうぞお持ちください」と献上したのです。その後も伊賀山中の道なき道を夜通し歩き通す厳しい逃避行が続きましたが、勝軍地蔵の助けを得た家康はどうにか伊勢までたどり着くことに成功します。船で伊勢湾沖に出たとき「助かったぁ!」と子供のように声をあげたといいます。
家康は生命の危機を救ってくれた勝軍地蔵をたいせつに祀り、幾多の戦いを勝ち抜いていきます。そして慶長8年(1603年)に征夷大将軍に登りつめると、江戸に愛宕神社を創建して本地仏として勝軍地蔵を安置しました。多羅尾家は家康に取り立てられ、明治に至るまで有力代官として栄えました。
★ 国家の危機を救う!
それから260年後の幕末、日本は危機的状況にありました。アジア・アフリカの相当部分を植民地化した欧米列強が「次は日本だ」と迫ってきたのです。現代の私たちは歴史の結果を知っているわけですが、幕末時点で日本が独立を保てる確率は極めて低いものでした。当時超大国だった清でさえアヘン戦争に敗れて悲惨な状態だったのです。もしもロシアの植民地になっていたら日本でも大虐殺や強制移住が起きていたはずです。
家康がつくった幕府は長い年月を経て弱体化していました。アメリカの威圧に恐れおののき朝廷の許可を得ずに不平等条約に調印したため国内は混乱状態で、現在の首相にあたる大老井伊直弼が血の弾圧を行っていました。日本は確実に破滅に向かっていました。
その流れを劇的に変えたのが、家康の勝軍地蔵の前に集まった志士たちでした。安政7年(1860年)の大雪の日、井伊直弼を斬ると決意した水戸と薩摩の脱藩浪士は愛宕神社で待ち合わせをしました。後に「桜田烈士」と称えられる18人は神前で深い祈りを捧げると江戸城の桜田門に向かいます。そして3倍以上の人数の井伊直弼の行列が彦根藩邸から出てくると無茶を承知で斬りこんだのです。
勝軍地蔵の助けで襲撃は奇跡的に成功します。薩摩浪士有村次左衛門が井伊直弼を籠から引きずり出すと首級をあげました。その瞬間、武力を背景とした社会秩序は根底から覆りました。あり得ないことが起きたのです。幕府の権威は地に墜ち、日本中に「やればできるんだ!」という思いが広がります。一気に激動の時代に突入します。そして明治維新が成功し、我が国は辛うじて生き残ることに成功しました。勝軍地蔵の助けを得た志士たちが新しい時代を切り開いたのです。
作家の司馬遼太郎は次のように書いています。
「暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最精鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬りこまれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない」(『幕末』)
★ 立証された力
勝軍地蔵に助けられた武将は家康だけではありません。坂上田村麻呂、足利尊氏、細川政元、武田信玄らも記録が残っていて、信玄が戦陣の守り本尊とした勝軍地蔵・毘沙門天のセットは現在甲府市の寺院にあります。命懸けの戦いで結果を出す必要に迫られた武将たちが篤く信仰した事実は、勝軍地蔵の力の何よりの証明といえましょう。
勝軍地蔵は戦いに勝たせてくれる御利益によって信仰が広がった尊格です。各地の愛宕神社で祀られている愛宕権現と実際には同じ神であると認識されてきました。むろん地蔵菩薩ですので、勇ましい甲冑姿であっても無限の慈悲の心で苦しいとき救ってくれます。「救い」こそが、長い歴史のなかで無数の人が体験・実感してきた地蔵菩薩の最大の功徳です。
勝軍地蔵はたいへん珍しく、得難いものです。特に身近で守ってもらう念持仏に最適な小さな像はまず手に入りません。本作品は原型師として名高い津田潔志師が丹精込めて作り上げた傑作です。厳しい時代を勝ち抜くための援軍として、ぜひこの機会にお迎えください。